Yuta Something

なんか言うた!

2017.04.02-2

精神安定の最も小さな基盤となるのは、閉鎖的な小集団なのではないかと思う。それは家族に限らず、趣味友だったり店の常連仲間だったりすると思う(学生時代の仲良し組みたいなものだ)。ぼくは会社でそういうものは作れなかったし、入り込めそうな地域のコミュニティも見つけられなかったけれど、家族は得られることになる。

少し前に友人と「彼女あるいは妻にインテリジェンスを求めるか」という議論になったとき、ぼくは求めないと答えたのだった。精神をほんとうに癒やしてくれるのは身体であって、例えば声を出したり運動したり日光を浴びたり食事を楽しんだり身体に触れたりという方法で実現されるのだけれど、それを共にするためにインテリジェンスは必須ではない(もちろん良識程度は必要だ)、というのがぼくの実感だ。知的活動はその結果より楽しむことができるようになったと思う。趣味にせよ自己研鑽にせよ、知的活動を先に究めようとするのはぼくにはできなかった。

それで今のぼくは知的活動の機運にあるわけだけれど、知的活動はそのほとんどの時間を内的に費やすからたまに会う友人がいれば十分だし、また知的活動はおよそ言語化可能であって(あるいは言語化することから構成されていて)インターネットを介することができる。だから、そういうものはこれからもこのブログを読んでくれている友人たちに求めることにした。ぼくには君たちが必要なんだ、ぜひ今後もつきあってくれ。

もっとも、ぼくの知的活動には大きな制約が加わることになる。一人の時間は少なくなるし、どこかに出かけたときに風光明媚な場所や美術館に気の済むまで滞在することだってできやしない。まあ、それは致し方ない犠牲というもの、たまに一人の時間をいただけばよろしかろう、と思っている。


友でも彼氏彼女でも、誰かを好きになるということは、半分以上は意志に拠るのだと思う。というのは、誰かに自分の好意を誤解なく伝えるためには様式があり(その95%は「好意を率直にいつも言う」ということだ)、その運用にはずいぶんと努力を払う必要があるからだ。この様式は「自然体がいい」なんて言わずにイタリア人にでもなったつもりで自然体になるほど刷り込んだほうがいいと思う。ティ・アーモ。

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